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zoom RSS 死刑制度について

<<   作成日時 : 2008/05/05 15:13   >>

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 死刑は、必要か、否か・・・必要悪などという答えは答えになっていないと思います。
 少年が、犯した罪が本当に裁かれたのか、否か・・・
 また、きっこのブログきっこの日記に触発されて書いてしまうのですが、今回の記事には首を傾げざるを得ません。

 その日記には彼女の心をズタズタに引きちぎった忌まわしき過去が赤裸々に語られ、読むものの胸を締め付ける部分は大いにあり、そのレイプ犯に対する憎しみは誰がなんと言おうと拭い去れるようなものではないとは感じつつも、その日記の文末では(きっと怒りがあまりにも大きすぎてか、心無いコメントを沢山読まされている所為か)言論弾圧にも近い語調で、「殺人事件・レイプ事件の被害者や、遺族以外の人間はコメントするな」とも受け取れる文章で締めている。
 「いろいろな意見があってもいい」と言いつつも、なぜこのように締めてしまったのでしょう。
 彼女の痛みを自分は想像もできません。
 だから、彼女の言に拠れば、発言する権利はないのかもしれません。
 しかし、死刑は事件当事者だけの物事ではないと思います。
 彼女が記事で、殺人事件を戦争や、政治と結びつけるように、個々の感情だけでは済まない社会問題であることはわかっているはずなのです。
 それでも、その怒りが強すぎて聞く耳を持たないような締めになってしまっているのは、残念でありません。

 光市の事件の本村さんも、その被告の元少年(なんだか可笑しな物言い)も、両者共「この判決が判例にならないように願っている」とコメントしているそうで、死刑制度が社会的に善であるとはなんともコメントしていないように思います。
 それに、本村さんの記者会見でのコメント、「もし、被告が本当に罪を認め、反省していたならば、無期懲役もあったかもしれない」には、被告が自分の犯した事の重大さを真摯に反省をしていたのであれば無期懲役であっても納得したかもしれない・・・という解釈もできない事もありません。
 たしかに、あの裁判は途中で弁護士が入れ替わっておかしくなり、政治的に利用されて、滑稽な弁護士の記者会見や、大事な裁判に欠席するというとんでもないことをしでかしました。
 そのことで、マスコミはやんややんや騒ぎ立てまくるし、国は矛先が自分に向けられていると感じ、どんな事があってもあれでは死刑が決まったようなものになってしまいました。
 そして、何年か後に国の代理に刑務官が死刑を執行するのでしょう。
 被告は、冤罪ではないので救われる道はありません。
 そして、被害者遺族の本村さんも救われているようには思えません。
 死刑では、誰も救われないのと感じました。
 そして、犯罪抑止力にもなっていません。
 犯罪抑止力にするには、江戸時代のように獄門貼り付けや、盗人などは刺青、イスラム圏の一部の国のようにクレーン車で首吊りなどのように残虐に人を殺さなくてはなりません。
 それでも、完全に犯罪がなくなる訳ではありません。
 「やってみなければわからないじゃないか!」という想像力のない人には、「広島に原爆が落とされて人が何十万人も殺されたのに、戦争は世界中であっちこっちでくりかえされるでしょう」と問うとしましょう。
 そうすると、「日本はそれ以来戦争に参加していないじゃないか」と言われたら、「敗戦後数年経った朝鮮戦争で、アメリカに物資を提供したことや、今もなおイラクでアメリカに物資を補給させていることなどは戦争に加担していることになるんですよ」と答えます。
 こうして、人の殺し合いは続き、根本的に何も解決しないのです。
 死刑も同様に、根本的な解決方法を死刑制度で見出せないと思います。
 日本だけの問題ではないのですが、人を殺す戦争、人を殺した人を殺す死刑、どちらも無責任なトップが無感情に判子を押すだけで済んでしまう話です。
 その過程の中で、さまざまな感情がメディアなどによって都合よく増幅されて、トップに近いものほど左団扇で暮らしつつ、前線あるいは、事件の当事者・刑を執行する人などは傷を癒される事などなく、苦しみを抱いたまま暮らさなければなりません。
 それは、事件が解決した状態になっても、戦争が終結したといわれても続くことでしょう。
 「人の痛みを分からない」人達の間で永遠に・・・

 「痛みを分かち合う」という綺麗な言葉は、数年前にあるバカヤロウの所為で軽い言葉になってしまったようにおもいますが、大切な言葉であると思います。
 そして、物事を単純化させる大きな力・言葉には警戒しなければならないと感じます。
 「命に対しては、命で償え」という憎しみの連鎖にも繋がりかねない単純化された考え方・感情は、それを克服してこそ「痛みを分かち合う」事ができる可能性も殺いでしまいます。
 例えば、ある死刑囚が自分の犯した罪を省みることによって生み出される言葉によって、微々たる事だとしても人間というもの、その社会的には病んでいるといわれる人間の痛みを分かり得ることができるかもしれません。
 そういう痛みもあるのだということによっては、そういう病んでいるとレッテルを貼られる人の救いにもなるかもしれません。
 殺された人を救う方法は、残念ながら思いも及びません。
 生きている人、人に拠っては、その犯罪者を殺したいと思っているでしょう。
 しかし、憎しみを解消したところで救われるのかが、大いに疑問なのです。
 それでも、痛みを癒す事ができたのなら、憎しみも癒えるような気がします。
 痛みと憎しみは、表裏一体であり、別物である気がします。
 そして、その人の行動原理がどこ(憎しみか、痛み)からくるものなのかによって、社会は変わってゆくのでしょう。
 ただ、感情的に暴力的に事件を解決したという状態になったとしても空しさがついてくる気がしてなりません。
 空しさは、痛みと同様苦しいものです。
 以前、感情的に「暴力団は死ね!」という記事を感情的に書きましたが、それだけでも自分は、自分が卑しい人間であるということを再認識させられ(自業自得ですが)空しくなってしまいましたから、常に人を憎しみ、呪い続けている境遇に陥ったり、貶められてしまった方の不幸は、人殺しを殺したところで癒えるものではないのではないかと思うのです。
 と、言ったところでなんの解決にもならないのですが、なぜ、中途半端に少年が裁かれたり、裁かれなかったりするのには大いに問題がありますが、暴力的な解決方法では、新たな人殺しの抑止になるとは考えられませんし、この国には暴力的に事件を解決しようとした粗がボロボロと発覚した冤罪という問題もあり、その元死刑囚と呼ばれる人の痛みをありますし、被告を憎む人の代理で人殺しを仕事とする刑務官という不条理な仕事の方の痛みもありますし、すべての人の痛みを癒すには長期的な教育が必要なのではと感じます。
 愛国心ばっかり植えつけたところで、命の尊厳は守られないことは、きっと誰でも理解できると思いますが、優先的に行われているのは、そういった他者を疎外することから始められているように感じます。
 そんなことでは、人の痛みを分かち合うことなどできないと思うのですが・・・


きっかけになった記事

きっこのブログ
きっこの日記


追記その1

 参考にした記事
   フォーラム自由幻想 ”森達也「死刑」”  
   フォーラム自由幻想 ”野蛮な国々”
   
Wikipedia”死刑”
  

 

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コメント(10件)

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 当ブログをリンク登録していただきありがとうございます。

 ところで私は今回の死刑判決は大賛成です。

 ちなみに来年から始まる裁判員制度で私に召集命令が下れば今回のような事件の場合下す判決は「死刑」以外は存在しません。

 裁判員制度とは、そういう事だと思います。

 私は法律の専門家では有りませんから私憤のみで判断を下すでしょう。

 ただ自らの地位を守らんとして空理空論を駆使して「死刑反対論」を主張する某弁護士よりは人間らしいと確信します。

 ※本当に人命尊重の考えで(立場ではなく)
  唱える「死刑反対」なら傾聴のの価値は
  あると思いますが。
薩摩おいどん
2008/05/06 12:48
薩摩おいどん様

 コメントいただき、ありがとうございます。

>当ブログをリンク登録していただきありがとうございます。

 もしかすると、リンクをした当時に報告したと思っていたのですが、届いていなかったようですね(笑)
 リンクをさせていただいたのは、一年以上も前でした。(笑)

 人間らしい・・・難しい言葉ですね。
 ただ、その場その時の感情に流されて判断を下すのが人間らしく、それを是とするのには、死刑制度はあてはまらないと感じます。
 なぜなら、それはその時点でリンチ(自ら手をくださないとしても)に近い性質のものになってしまうからです。
 
 >※本当に人命尊重の考えで(立場ではなく)
  唱える「死刑反対」なら傾聴のの価値は
  あると思いますが。

 人命尊重は、あたりまえの考えであると思いますが、殺人犯についてはどうしても「生きる価値などない」と被害者の人命尊重という表現も理解しております。
 
 
 
sendo
2008/05/07 00:26
 失礼しました。
 まあ、sendoさんには分かってもらえると思うのですが立場として「死刑廃止」を唱えるのは立場を有利にしてくれますし社会的にも印象がいいものです。特に法律を生業にする者に取っては、しかし本当に人命尊重を考える人は被害者の遺族を納得させるだけの説得力を考え出さねばなりません。

 だって遺族は死ぬまで犯人を恨み続けるでしょう。

 それに対して説得する術を私は知りません。

 決して容易い問題では無い事だけは確かのようです。
薩摩おいどん
2008/05/07 23:30
「立場」の問題ですが、自分は法曹界の事はよくわかりませんが、印象として「死刑廃止」派の人達が何某かの権力を持ち、優位な立場にいるようには見えませんし、逆に国や、メディアから叩かれることもあり、闘い続けているように見受けられます。

 そして、恨み・憎しみを持ち続ける方に対する説得方法ですが、絶対的な方法論はないと思います、残念ながら。

 上記の記事にしても、殆どすでに語られつくされているもので、自分の考えで書きましたが、受け売り的な部分が大いにありますので、もう少し考えて後日記事を挙げたいと思います。
 追記のブログを御覧いただければ幸いに存じます。

 いつも、コメントいただきありがとうございます。
sendo
2008/05/08 23:39
こんにちは。わたしのブログにコメント・TBをいただきまして、ありがとうございました。

メディアに洗脳され、報復感情をふくらませる人々が増えている現実は、怖ろしいですね。みなさん、感情の問題と法制度の問題をごっちゃにしている。これは、近代になって確立されたはずの人権・法というものに対する理解が問われていると言えるでしょう。

死刑廃止論者は、日本においては少数派ですが、「死刑も殺人である」ことを忘れてはならないと思いますね。こういうご時勢だからこそ、がんばっていきましょう。
影丸
2008/05/09 13:10
すみません、大事なことをひとつ言い忘れました。

被告人の弁護団に対して、日本中からバッシングがなされています。脅迫もたくさんあったそうです。sendoさまの記事にも、彼らに対する批判と受け取れる箇所が見られます。

しかし、弁護団が公判を欠席したのは、当然のことです。正当な理由があったからです。それなのに、弁護団の言い分を何も聞かずに彼らを非難するというのは、メディアの偏向した情報を鵜呑みにしていることにはなりませんか?

安田弁護士は、この事件のほか、和歌山カレー事件、オウム真理教事件など、日本中の憎悪の対象である被告を弁護しているひとです。日本中からは恨まれ、脅迫され、何のメリットもないかもしれない。それなのに弁護活動を行なっている。むしろわたしは本当に頭が下がる思いです。そう思います。
影丸
2008/05/09 13:42
影丸様
 
 コメントいただきありがとうございます。

 どうやら自分も、かなりメディアに毒されているようです。
 弁護団が欠席した理由もろくすっぽ調べもせずに概要だけを見て批判していました。
 どうやら、裁判の日程を三者で協議せずに一方的に裁判所が行使したのですね。
 弁護団を批判する人達の卑しさが、いろんな所で見受けられました。
 特に橋下元弁護士が酷いですね。
 感情の問題と制度の問題を混同してしまう事によって、どちらの言い分も混乱してしまうのですね。
 5・6のきっこのブログをみたら「死刑廃止は、冤罪を増加させる」と書いているのに、「冤罪と死刑制度は、分けて考えろ」という論理破綻を来たしています。
 それも、きっと憎しみからでしか言葉を発する事ができない状態でいる哀しい事なのかと思われます。
 憎むべきは、レイプ犯で、制度ではないのですが・・・
 
 まだまだ言葉が足りず、思い浮かびませんので、もう少し考えてから発言したいと思います。

 コメントありがとうございました。
 
 
sendo
2008/05/10 13:45
ボクは死刑廃止には反対です。

犯罪抑止への期待とかじゃなく、死刑でなければ償えない、死刑でもすら足りない罪もあると思います。
世界では死刑制度のない国はたくさんありますが、なぜ「死刑廃止論」という意見があるのか、よく理解できません。

今回の光市の事件もそうですが、大阪池田市の事件など、遺族の心情を考えれば死んで償うしか仕方ないのではないでしょうか。

確かに死刑は国家による殺人で、判決を下す裁判官、指示を出す法務大臣や執行官には精神的な苦痛は大きいと思います。それゆえに厳正な裁判が求められているのだと思います。

殺人罪で服役して、出所後また殺人事件を犯す人間だっています。それを社会のせいにしてしまうのはあまりにものご都合主義です。

強姦罪も許せない犯罪だと思います。ポーランドで悪質な強姦犯は薬品で去勢してしまう刑ができたと報道されていましたが、日本でも導入を検討すべきだと思います。
ガンツ先生
2009/04/19 15:37
ガンツ様

 こちらにもコメントいただきありがとうございます。
 
 少々ひっかかるのですが、「死刑廃止に反対」というのは、死刑は必要悪であるということなのでしょうか?
 
 そもそも、日本の刑法は応報刑を否認しているそうです。
 以下、上記の記事でリンクしているWikipedia”死刑”からの引用ですが、死刑の法的根拠は受刑者へ隔離効果、殺人事件の予防・威嚇効果によって合憲とされているのだそうです。
 
 
sendo
2009/05/03 01:14
そして、死刑で罪が償えるかどうか?という事も一概に言えません。
 殺された方は戻って来ないので、罪を許しようがありませんし、その遺族の方々にしても死刑によって受刑者を許すことになることは少ないのではないかと思います。
 「償い」は、生きてこそできる行為なのではないかと自分は考えます。
 宅間のような人非人であっても、死んで罪が償えるとは思えないのです。
 よって、厳正な裁判と同時に、厳格な量刑の行使が必要であると思います。
 再犯を繰り返すような人間を出所させてしまうという事象は、死刑制度とはまた別次元の話であると自分は考えます。
 なぜなら、再犯しそうなものは社会から抹殺(死刑)しろとは言えないからです。
 ですので量刑の徹底は、死刑廃止と同時に進めていくべき問題ですね。
 
 ポーランドの刑は、ユニークですね。
 しかし、日本は浅はかで危ない国になってきているので、そこから新たな差別などが生じるような気がしてなりません。
 以前にニュースにありました冤罪で婦女暴行で受刑されていた方などが去勢される可能性も絶対にないともいいきれませんし・・・

 
sendo
2009/05/03 01:15

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