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zoom RSS 「大庭健『善と悪』(岩波新書)」について

<<   作成日時 : 2010/03/15 06:20   >>

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大庭健『善と悪』(岩波新書)」について

 「道徳」とは、近年一部のおかしな人達から「道徳教育」と称して「愛国心」を持つ事であるという、これまたおかしな解釈を喧伝され、「そういうものだ」と納得してしまう多くのアホな人達によって、本来の意味をなさないようになってきている気がします。
 
 影丸さんが抜粋された、「「道徳」と「科学」の例」に即して考えますれば、「愛国心」を植えつける事によって、以前日本がどのような歴史を辿ったのか・・・検証すれば自ずと観察結果として回答が出るはずなのですが、それをしないのが右翼なのですね。
 彼らにとってのかけがいのない存在「天皇」を中心とした国家によるファシズムに向かって邁進する為に「道徳」という看板を掲げて洗脳しようとする。
 その中心たりえる天皇でさえ、国家掲揚時に起立を強制することについてのコメントで「強制はいけません」と言っているにも関わらずに・・・
 
 本来の「道徳」は、そのような次元にある訳ではないのですね。

 自分が思い描いていた「道徳」は、「マナー」みたいなものでした。 
 小学生の頃、3チャンネルで観た道徳のテレビ番組を思い出しますと、その殆どが「マナー」を扱っていたように思います。
 「お年寄りを大切に・・・」とか、「困っている人を助けよう」とか、「喧嘩の仲直りのしかた」など、そんなにかっちりと善悪の価値判断を植えつけられるような教わり方は、「道徳の時間」にはなかったように感じます。
 番組中のドラマから、先生に「どうしたらいい?」と投げかけられ、ああだこうだ意見しあっておしまいみたいな感じでした。
 それでも、個々に「善悪」の価値判断の基準は擦り寄っていったものですが、「売買春の是非」の回答が多様であるように、それは統一された訳でもありませんでした。
 さまざまな場面と、その背景を加味されると、意見はコロコロと変わってしまうのが、自分でした。
 今も、大して変わりませんが・・・(汗)

 「共感能力」「普遍化可能性」「不偏性」というキーワードはわかりやすいですね。
 立場によって偏らない(変わらない?)善悪の判断・・・難しい気がします。
 たとえば「泣いた赤鬼」という昔話がありますが、立場によって「善悪」が大いに偏ります。
 自分も、ちゃんと本書を読んでみる必要があるかもしれません。
 少々時間がかかるかもしれませんが、読んでみたいと思います。

 「最大多数の最小苦悩」という言葉、魅力的です。
 しかし、どうせなら「全数最小苦悩」がいいですね「三方一両損」のように。

 コメント欄では、まとまりなく長くなってしまいましたので、こちらに記入いたしましたことお許しください。
 それでは、失礼いたしました。
 

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
TBありがとうございます。

日本では「道徳」というと、たしかに「マナー」という意味でも使われてしまいますね。そうすると、どうしても「道徳教育」は「お説教」になってしまう。わたし自身は、「道徳」と「倫理」を区別するとこの問題がもっと分かりやすくなると考えているのですが、「道徳」をたんなる「お説教」「国家による規範の強制」から救い出すために大事な視点は、「対他存在」というところです。

こんどぜひ読後感想も聞かせてくださいね。
影丸
2010/03/17 03:27
影丸様

 こちらへのコメントいただきありがとうございます。

 昨日やっと、『善と悪』を入手いたしました。
 いつ、読み終える事ができるかわかりませんが、よんでみます!
 
 「道徳」と「倫理」を区別・・・なかなかイメージが湧きません(泣)
 どうにも、和集合のような感覚に捕らわれてしまいます。
 「対他存在」が、重要な要素なのですね。
  
 頑張って読んでみます!
 
船頭
2010/03/26 15:31

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